およそ半世紀の空白期間に何があったか?「白雉」「朱鳥」…初期元号の謎
元号をめぐる歴史ミステリー①
◆文武天皇の御代に制度として確立した
日本で元号が確立するのは、文武天皇が701年に「大宝」という元号を定めた時。以来、継続的に元号が用いられている。この年、日本で初めての律令である『大宝律令』が制定された。これは唐の律令を参考にしたものと考えられる。そこで年号も法的制度として確立されたのである。同時に「日本」の国号も定められており、国家としてのアイデンティティがこの時代に生まれたといえる。
「文武天皇が即位した時、即位礼を行う儀式の場が整備されました。それは『法式備わりし』と記録されています。この時代に中国的な国家体制が整備されたのでしょう。さらに以後は公文書に年号を用いることと、干支(えと)は使わないことが決められました」。
元号は天皇の代替わりの際に改元する「代始(だいし)改元」を根本原則と
した。しかし何かおめでたい出来事があった際にあやかる「祥瑞(しょうずい)改元」や、逆に天変地異などが起こったことで縁起の悪い元号を改元することも多かった。
祥瑞改元から考えると、白雉は白い雉(きじ)、朱鳥は赤い鳥が見つかったという、おめでたい出来事から来ているとされる。他にも珍しい亀に由来する神亀(じんき)なども当てはまる。古くはそうした吉祥を専門に調べる役所が存在していたのだ。
代始改元の場合、先帝の崩御や譲位が行われた後、すぐに元号を変えるのは先帝に対してあまりに失礼。その年末までは前の帝の年として、年が変わると同時に改元するのが「孝子の心」に叶うという、儒教的な考えも強かったため「踰年(ゆねん)改元」が原則となった。
大宝期に定められたルールは大きく変わることはなく、今日に至るまで日本独自の元号は途切れることなく連綿と続いてきたのだ。
〈雑誌『一個人』2018年5月号より構成〉
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